裁判員制度はもっと簡単な方法で

裁判員裁判が始まってから随分経過しました。私の所にはまだそうした通知が来たことはないですが、実際来た場合あるいは法律に全く興味が無い人にとっては、かなり迷惑な代物になる可能性がありますね。

事件によっては死刑の判決を下さなければならないし、会社なども休まなければならないなど本来の趣旨から自分は離れていると思います。そもそも我々は学校においても、司法的な勉強は全くやられてないので法律的な見識については素人です。

例えば死刑に関しても量刑が重いか軽いかは、これまでの判決状況が法の平等で均等になっているかなど、法律家なら解っている部分が完全に欠落して判決を下す事に、万が一冤罪だった場合を想定した場合など考えさせられる事があります。

この裁判員制度は、法律的な見識ではなく一般社会通念上常識的な正義といったらいいのでしょうか。人を殺してはいけない。人の物を盗んではいけない。一般社会で当たり前の話を罰するというのが趣旨でしょうが、私はこうしたハードルの高い所で一般国民を法律に参加させるのではなく、むしろ労働審判のような国民により短い事の方が望ましいと考えてます。

私の経験上であったのですが、労働契約が需要雇用か日雇いの特別派遣なのかで裁判をした事があります。契約書がそうした専門的な事を理解した人が、なんら説明もなく判子をつかせ法律的には了承した事となる訳です。契約書の内容が本人の認識と違っている場合、どういう状況で契約に至ったかなど詳しく説明する必要があるでしょう。

しかし、現在の日本では判子がついてあるかどうかが問題で、そうした経緯については正直泣き寝入りする事が多々ある訳です。話を聞く限り、だまし討ちが確認された場合法律的には判子をついているかもしれないが、我々素人から見た冷たい法律論ではなく少なくとも弱者に配慮する思考が我々の本来の正義ではないのだろうか。

態々、人殺しの可能性のある裁判制度をするのではなく、我々の暮らしに直結するような裁判に参加させるべきではないでしょうか。

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